2014年11月17日月曜日

親の鎖はほどけたか。その1




月刊zero23★10月号の書きおろしです。
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子どもは、生まれて初めて関わる大人が最初の世界になります。一般的には両親だけれど、場合によっては父親か母親のどちらかだったり祖父母や親戚、あるいは施設の先生たちというケースもあるかもしれません。いずれにしても人間の赤ちゃんは他の動物と違って、まったく一人で成長することはできないから、自活できるまでの間、大人の手助けが必要ですよね。

よほどの放任主義でない限り、血縁関係が濃い大人は熱が入ります。なんといったって赤ちゃんはとてつもなくかわいい存在だから、あれやこれやといろんなことを教えたくなるもの。最初はご飯の食べ方やトイレの使い方などごくごく基本的なことだけれど、だんだん自分の理想や自分と同じ思考を求めるようになっていく。

なぜこんなことを書いているかと言うと、親御さんの呪縛から抜け出せないご相談者が多いから。(根源をたどると、どんな悩みもほとんどはそこにたどり着くと言えるかもしれないくらいです)

大人の側は「子どもが立派な大人になるように。幸せな人生を送れるように」と願っているのだから呪縛といってしまうのはちょっと乱暴なのだけど、結果的に子ども側は30になっても40歳になっても、自分が結婚をしても子どもが生まれても、「親の期待を裏切ってはいけない」「親が望む生き方をしなければならない」というすり込みがあって、自分らしく生きることにブロックをかけているように感じます。

外し方がわからなくなっている状態として、1つは親への反発心が止まらないパターン。もう1つは知らず知らずのうちに親の言う通りにしているパターン。

現状の親子関係性が円満であっても、職場やサークルなど社会的な人間関係で苦しんでいるとき、生まれてすぐに触れた大人の気質や価値観がどうだったかを辿ってみるといいです。

すり込みが強いなーと感じる人は、「I am〜」のワークがおすすめ。何か行動を開始するとき、「私がこれを食べる」「私がこれを着る」「私が選ぶ」。どんな小さなことでもいいので、自分の意思で行っていることを、言葉で身体に伝えていきます。
「私は〜」「私が〜」という音が心地よくなって、自分の運命は自分で決めていいと思えてきたらしめたもの。

たいてい親と子どもでは個性が違うし、真逆の場合だってめずらしくありません。
せっかちな親の子どもがのんびり屋だったり、繊細な親の子どもが大胆だったり。

才能やクセ、肉体など部分的に似ることはあってもそっくりそのままにならないのは、子どもは常に新しい可能性を持ってこの世に降りて、それを活かす必要があるからです。
特に親子関係の場合、子どもは幼少期に得た価値観を越えて、自分ならではの世界へ羽ばたくことが人生の命題であるような気がします。

だから、
親孝行とは、親の言う通りの子どもになることではないのです。

それなのに、なぜ親はいくつになってもあれこれ指示を出してくるのか。
理由は1つ。子どもが本当に幸せそうにしている姿を見ていないから。

子どもが心から喜んで生きている姿を見せないことには、親はいつまで経っても不安なままです。
実践して見せていかないことには分からないものです。

親の望むスタイルでないと文句をつけてきたら、丁寧に自分の気持ちを伝えましょう。
聞く耳を持たない様子のときは、だんだんと諦めていくのを待ちましょう。

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