2015年2月13日金曜日

滑って尻もちつきました。(月刊zero23の書き下ろしです)






 月刊zero23 1月号のコラム「浅倉かおりのオシゴト日記」の書き下ろしです。
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 2014年もあと15日という頃、日本列島は大寒波に襲われあちこちで雪のトラブルがあり、私も雪道で滑って激しく尻もちをつきました。
 これから個人セッションをはじめようという時だったから必死に痛みをこらえて平静を装ったけど、いつもより険しい顔になっていたかもしれないな〜。クライアントさんには申し訳ない時間になっちゃった〜(><)

 転んだ瞬間は両手をつく余裕もなく、完全にお尻だけで上半身の重さを受け止めた衝撃で、子宮なのか膀胱なのか下腹部の内臓までずんずんと痛かった。1日寝たら治るだろうと思っていたら翌日も痛みは変わらず、骨折まではいかないまでも、尾てい骨にヒビが入ってしまったのかと不安がよぎる。

 小学生の頃にも1度尻もちをついてヒビが入ったことがあり、その時診察してくれた先生から「かおりさんの尾てい骨、ちょっとしっぽがあるような感じで長いんですねー」と言われたことを覚えている。

 思春期になるとさらに皮下脂肪も付き始め、お尻が出ているとからかわれたこともあって、ちょっと突き出た尾てい骨は私にとって長年のコンプレックスでもあったんだよね。

 最近になってスピリチュアルな人から、「仙骨(東洋医学などでの呼称)が長いからグラウンディングしやすいですね」と言われ、確かに疲れているときなど樹木に仙骨をくっつけてじっとしていると樹木が何かを吸ってくれる感じがして気持ち良く、長いのも悪くないと思えるようになっていたのだけど、今回は裏目に出てしまった。

 痛くて仰向けに寝ることが出来ず、階段も手すりがないと上がれない。つまり2階をそうじしたくても掃除機が持てない訳です。
もしからしたら青紫色になって腫れ上がっているのかも。50歳直前にして蒙古斑(もうこはん)があるお尻。くだらない想像をして一人でプッと吹き出してみたりする。

 痛みって笑うとやわらぐから不思議。実際どんなことになっているのだろうと、自分のお尻を確認することにした。

 裸のお尻を見るなんて何年ぶりのことでしょう。後ろ姿で鏡の前に立ち、そおっと振りむくも、意外にお尻は普通の肌色で外傷ゼロ。"重力に素直なかたち"という、別の意味での現実を見ることにはなったけど、内出血などはない様子。

 翌日整形外科の病院でレントゲンを撮っていただくと、ヒビも見当たらないようで、「ただですね、隠れた場所にヒビが入っている場合もあるので、様子をみましょう。骨折の場合はだいたい全治3ヶ月、ヒビの場合は4週間位ですかね」とのこと。

 尾てい骨は骨折してもギブスができないから、出来るだけ安静にして自然に治るのを待つしかない。ちょっとの損傷でも日常って簡単に変わってしまうんだなー。当たり前だった生活のありがたみを思う。湿布を貼りながらセルフレイキ的なヒーリングもしつつ、この原稿を書いています。
 新年早々から尻ネタになってしまいましたが、みなさまも雪道はくれぐれも気をつけて。今年もどうぞよろしくです。




2015年1月6日火曜日

月刊zero23書き下ろし「プロのオシゴト」


 
2014年月刊zero23☆12月号掲載「浅倉かおりのオシゴト日記より

2014年は、お世話になった方が亡くなった。 
どちらも40代という若さで、どちらも急病で、突然の訃報だった。

ひとりは男性で私の家を建ててくれた人。

出会ったのは今からちょうど9年前、私が39歳のときだ。当時、住まいと仕事部屋を別に借りていて、「このまま家賃を払うならマンションを買ったら?」という友人のアドバイスもあって物件を探し始めたのだけどなんだかしてしっくりこなくて、どの道ローン地獄に落ちるなら(笑)、自分仕様の家を作ろうと思ったのだった。

100%オリジナルの家だから、設計は工務店さんに依頼したい。「いくらか値段は高めらしいけど、センスのいい設計士さんと腕のいい職人さんでやっているらしいよ」。そんなビビるうわさも小耳にはさみつつ、思い切って電話したのが始まりだった。

出てくださったのは、建築家でもある専務さん。「あのですね。お金はそんなにないんです。サイズも一人暮らし用だからちっちゃくていいんです」とあんまり儲けのでない客であることを最初に説明し、「唯一の希望は、漆喰の壁と天然の無垢材、できれば県産材を使いたいです」と伝えた。
すると
「私も出来ればクロス張りの壁や集成材を使わない家づくりを目指していますので、大丈夫ですよ」と、おだやかな声でお返事してくださった。決めた!この会社にお願いしよう。というか、半分断られるのを覚悟していたから、「わーい。本当にいいんですかっ?」そんな心境だった。

まったくゼロからの家づくり。昼間は仕事だから打ち合せは夜になる。深夜12時近くになるときもあった。私が欲しいデザインのシステムキッチンが山形になく、わざわざ仙台のショールームまで連れて行ってもらったり、ドアに入れるチェッカーガラスを探し出してもらったり。地産地消おたくの私にとって、ちょうど山形市内産の建材が使えたのも嬉しかった。

現場では1人か2人の大工さんが黙々と作っていく。工期中徐々にかたちになっていく過程や職人技を楽しめるのも、手作りを主とする工務店さんならではだ。

作り付けの部分は私の身長(148cm)に合わせて低めに設計され、客人を招いて改めて分かったのだけど、びっくりするくらい私にとって快適な空間になっている。

専務さんは私の意向、私の暮らし方、私の感覚をきっちり受け止めて設計してくれたんだと、あらためて思う。まさにプロの才覚!

実際、価格が高めだったかというと、新築のマンションを買うより安かった。その後、鎌田工務店さんは嶋地区にモデルハウスも建て、ますますバリエーションも広がって、予算に合わせた家づくりに対応しておられるようだ。来年で丸10年になるけど、今でも外から帰ると木の香りがほのかに漂い、天然素材は風合いが増し、劣化が遅いことも実感できる。

専務さん、今は天国の現場で、神様たちのお家をつくっているのかな。
本当に本当にありがとうございました。

2014年12月17日水曜日

月刊zero23書き下ろし「今月は内観がオススメ」





月刊zero23★11月号のコラム書き下ろしです。
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「自分は何のために生まれて来たんだろう」。
30代半ばの頃ふと頭をよぎって悩んだことがある。特別な才能や技術があるわけでもない私がフリーランスとしてやっていられるのは周りの方のおかげであって、私自身の実力ではない。

それは謙虚や謙遜といった言葉に当てはまる気持ちとは違い、自信のなさからくるものだった。
世間で活躍しているクリエイターのようなセンスは持っていないのだから、とにかく丁寧に仕事をしよう。1つ1つ手を抜かずにやろう。特別な能力がない私にできるのは、真面目に真剣にやること。それだけだ。

結果、趣味は?と聞かれても「ないですよ」と笑っていえるくらい仕事オンリーの毎日を過ごすことができ、冒頭の不安は消えていった。

無我夢中でがんばっていくだけでも人生は充実する。特に仕事での達成感は分かりやすいし、世間的評価も得られやすい。

けれど、社会的な役割の行いだけでは、表層的な過ごし方になってしまう場合もあるんだよね。
 
例えば、ひたすら働き続けたお父さんが定年退職を迎えたとたん熟年離婚を言い渡されたり、虚無感に教われたりするようなこと。

私が初めて「内観」を意識したのは、2006年、フラワーエッセンスのセミナーに参加したときだった。

人間が生きていく上で大切なのは、本質の願いや望みを知ること。魂の指針。生まれる前に決めてきたミッションとは何か。それを思い出す生き方とはー。


リズブルボー著『からだのこえをききなさい』の一節を引用すると、
「ほとんどの人は充分に意識的ではないために、ふだん自分が何を考えているのか、何を言っているのか、何をしているのかさえ意識していません。ただ機械的にそれを繰り返しているだけなのです。一日のうちで、話す前に行動する前に、そうすべきかどうか何回くらい自問していますか?」

内観をはじめるにあたって、フラワーエッセンスの開発者バッチ博士はこう書き記している。

「私たちが魂の声を聞くことは、手の届かないことでも、難しいことでもない。それが可能だと認めるだけで、シンプルに魂の声を聞くことができる。全宇宙の創造のカギは単純(シンプル)さなのだ。(フラワーエッセンスヒーリングーバッチの花療法 光の中へー 上野七歩子著)より」。

七歩子さんのセミナーでは直接自然の中に入っていくことが役に立つと語られた。

山や森へ出かけていく時間が持てないときにできる方法としては瞑想もある。瞑想がむずかしければ湯船に浸って静かに考えてみることでもいい。朝起きた時や寝る前に3回深呼吸するだけでもいい。

自分がいま生きているという状態を意識的に確認することで、パターン化していた自分の思考や感情に新しい風や光が注がれる。深い自分の内面が見えてくる。

2014年11月17日月曜日

親の鎖はほどけたか。その1




月刊zero23★10月号の書きおろしです。
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子どもは、生まれて初めて関わる大人が最初の世界になります。一般的には両親だけれど、場合によっては父親か母親のどちらかだったり祖父母や親戚、あるいは施設の先生たちというケースもあるかもしれません。いずれにしても人間の赤ちゃんは他の動物と違って、まったく一人で成長することはできないから、自活できるまでの間、大人の手助けが必要ですよね。

よほどの放任主義でない限り、血縁関係が濃い大人は熱が入ります。なんといったって赤ちゃんはとてつもなくかわいい存在だから、あれやこれやといろんなことを教えたくなるもの。最初はご飯の食べ方やトイレの使い方などごくごく基本的なことだけれど、だんだん自分の理想や自分と同じ思考を求めるようになっていく。

なぜこんなことを書いているかと言うと、親御さんの呪縛から抜け出せないご相談者が多いから。(根源をたどると、どんな悩みもほとんどはそこにたどり着くと言えるかもしれないくらいです)

大人の側は「子どもが立派な大人になるように。幸せな人生を送れるように」と願っているのだから呪縛といってしまうのはちょっと乱暴なのだけど、結果的に子ども側は30になっても40歳になっても、自分が結婚をしても子どもが生まれても、「親の期待を裏切ってはいけない」「親が望む生き方をしなければならない」というすり込みがあって、自分らしく生きることにブロックをかけているように感じます。

外し方がわからなくなっている状態として、1つは親への反発心が止まらないパターン。もう1つは知らず知らずのうちに親の言う通りにしているパターン。

現状の親子関係性が円満であっても、職場やサークルなど社会的な人間関係で苦しんでいるとき、生まれてすぐに触れた大人の気質や価値観がどうだったかを辿ってみるといいです。

すり込みが強いなーと感じる人は、「I am〜」のワークがおすすめ。何か行動を開始するとき、「私がこれを食べる」「私がこれを着る」「私が選ぶ」。どんな小さなことでもいいので、自分の意思で行っていることを、言葉で身体に伝えていきます。
「私は〜」「私が〜」という音が心地よくなって、自分の運命は自分で決めていいと思えてきたらしめたもの。

たいてい親と子どもでは個性が違うし、真逆の場合だってめずらしくありません。
せっかちな親の子どもがのんびり屋だったり、繊細な親の子どもが大胆だったり。

才能やクセ、肉体など部分的に似ることはあってもそっくりそのままにならないのは、子どもは常に新しい可能性を持ってこの世に降りて、それを活かす必要があるからです。
特に親子関係の場合、子どもは幼少期に得た価値観を越えて、自分ならではの世界へ羽ばたくことが人生の命題であるような気がします。

だから、
親孝行とは、親の言う通りの子どもになることではないのです。

それなのに、なぜ親はいくつになってもあれこれ指示を出してくるのか。
理由は1つ。子どもが本当に幸せそうにしている姿を見ていないから。

子どもが心から喜んで生きている姿を見せないことには、親はいつまで経っても不安なままです。
実践して見せていかないことには分からないものです。

親の望むスタイルでないと文句をつけてきたら、丁寧に自分の気持ちを伝えましょう。
聞く耳を持たない様子のときは、だんだんと諦めていくのを待ちましょう。

2014年10月7日火曜日

ザチョゼ・リンポチェ氏の「祝福と法話の会」に行ってきました。


 

 

月刊zero23☆2月号の書き下ろしです。

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 1月14日にチベットの高僧ザチョゼ・リンポチェ氏の法話に参加してきた。「リンポチェ」とはチベット密教ゲルク派の高僧の役称で、氏は1984年にダルマ大師の6回目の転生者として、ダライ・ラマ法王より東チベットにおける最高僧の承認を受けている方だ。

チベットのテホー地方に13の僧院と1万人の僧侶を抱え、ダライ・ラマ14世の70歳の誕生祝賀祭典の際には、約200人のリンポチェの中より指揮役を任命。1968年インドに生まれ、現在は米国アリゾナ・フェニックスで、自らが主催する財団『エマホ・ファウンデーション』をベースに西洋とチベット文化の融合にも尽力されているという。

今回はチャリティーツアーとして来日され、全国13ヵ所のうち山形もその1ヵ所となったのだ。ツアーのタイトルが『祝福と法話の会』となっていたので、てっきりありがたいお話を1〜2時間拝聴するのかと思っていたのだが、まずは参加者全員に「浄化」「祝福」「結界」の3つのイニシエーション(儀式)が施された。チベットでは高僧しか受けることのできないものだそうで、日本への友好の意を込めて行なってくださるという。しかも儀式は演台から会場にむかって一斉にするのではなく、氏自らが席をまわって一人ひとりに施された。

儀式が始まる前、「過去を振り返るのではなく、また未来がどうあって欲しいと望むのではなく、肉体はもちろん意識も今ここに置いてください」との説明があった。瞑想前に行なうグラウンディングのようなものだ。

今という時空間で心身を1つにし、リラックスすること。抑揚が穏やかなチベットのお経があげられ、半瞑想状態になった私は気持ちよすぎて、ぽちっと涙が出た。

法話では、「自分から生まれるポジティブとネガティブな気持ちを把握すること。それに自分がどう反応するかを知ること。他人と比較して自分は足りていないと不満に思わないこと。みじめさはやがて怒りに転化すること。世界の多くは貧困に苦しむ国であり、日本で暮らす私たちは恵まれた環境に生きていること。足りないというネガティブな気持ちが湧いてきたときは、自分が持っているものは何かという考え方に切り替えること。ポジティブなエネルギーは自分を助け、周囲の助けになること。」

とてもシンプルに、大切な内容が語られた。

代替医療のフラワーエッセンスもまさにポジティブとネガティブを知る内観の作業であり、創始者のバッチ博士はキリスト教を深く信仰していたが、真理はみなつながっているのだなーとつくづく思う。

もう1つ感じたのは、ザチョゼ・リンポチェ氏の明るさだった。法話は日本の流行語もまじえながら、自らが「あはは」と笑い声を発して語られる。会場は厳粛な空気というより、やわらかな光に包まれなごやかだった。

「本当の大物はオーラを隠せる」という誰かのコメントを思い出す。威圧感がないのだ。

私はこうしたエネルギー的なワークをしたときやパワースポットに行ったとき、身体にある反応がおきるのだが、今回も帰宅したらその状態になっていた。貴重な高僧パワーをいただきました。

2014年9月12日金曜日

手放すことを恐れない


2014.月刊zero23 7月号の書き下ろしです。





 5月は久しぶりにトークセッションのお仕事をいただいた。
山形法人会が主催する経営セミナーで、メイン講師はファッションデザイナーのドン小西氏。テレビや雑誌では辛口のファッションチェックでおなじみだが、実は5年間のウツと15億の借金で苦しむ時代があったという。

体験を元に書かれた本『逆境が男の「器」を磨く』では、テレビドラマ半沢直樹よろしくとばかりの壮絶なシーンも綴られており、地獄の時代を経たからこそ書ける人生のヒントがまとめられている。

 29歳で独立してからの数年は、「色の魔術師」「ニットの異端児」といった異名を取って国内外でコレクションを開催し、国内だけでも50店舗を展開していたそうだ(ちなみにドン小西氏デザインのスーツは『メンズニシムラ』さんで扱っていましたよ)。

会社が大きくなればデザイナーの仕事だけでなく、経営者の役割も増えていく。

—一人で仕事を抱え込み、周りを見る余裕がない状況に追い込まれていた。気がつけば僕が信用でき、ついてきてくれる社員は誰もいなかった。そんな会社が健全であるわけはない。(著書より抜粋)—

結果として巨額の借金を抱えることになるのだが、このとき最も恐ろしかったのは金額の大きさではなく、あらゆるものを失っていく状況の変化だったのではないだろうか。

銀行が手のひらを返して冷酷な態度になり、社員の数年に渡る裏切りも発覚し、家族が崩壊し、スーパーカーを手放し、こんなときに限って免許まで失い、飼っていた犬もいなくなる。正真正銘の一人。孤独の闇に放り出された感覚を体験をしたからこそ、本物の強さとやさしさを得られたのだと思う。 

—「平穏無事」を求める人は、きっと「落ちる」ことを心配しているのだろう。日本の企業を見ても、安定を求め、変化を嫌ったために失敗しているケースが多い。僕が「人生の難所は買ってでも求めろ」と言うのは、難所を経ることは、自分の限界と可能性を知ることにつながると信じているからだ。(著書より抜粋)—


「売り上げの前年比を参考にしていては、会社は成長しないですよ」
セミナーでも経営も個人の人生もチャレンジしていく大切さをお話されていた。

年齢を重ねていくと、考え方も生活パターンも壊すことが億劫になる。どんなに悪癖であっても、人は慣れている方法を使おうとするものだ。

いっときの覚悟をすることで、実はもっと心地良い楽しい世界があるはずなのに、扉の手前にいるときはそれをイメージすることが難しい。とはいえ、「結果が分からないから何もしない」というのは、自分の伸びしろを止めているようなもの。

手放す行為は勇気がいるけれど、思い切ってやってみた後は案外と風通しがよく、清々しい自信で満たされていくのではないだろうか。


2014年9月3日水曜日

山形新聞*日曜随想(12月分)


 2010.12.08
山形新聞で連載していた日曜随想。
1月からスタートして12月が最終回。
ちょうど10本書かせていただきました。

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「地球の暮らし方考」

「家の中で一番えらい人は?」と聞かれたら、
ご先祖様と答えるだろう。
子どもの頃、炊飯器の中でツヤツヤに炊きあがったご飯を
真ん中からすくってみたくて、
「もう食べていい?」と聞くのだが、
返事はいつも決まって
「ちょっと待って。仏壇にご飯あげてから」だった。

家に届いたおみやげの菓子折りも、
見たことのないきれいな包装紙の中身が気になって
「ねぇねぇ開けていい?」と聞くと、
返事は必ず「だめだめ。まずは仏壇にあげてから」。

いまでも実家に帰ると、
まずは仏壇に手を合わせる習慣がついている。
昔は、よその家に行ったときも、
最初に仏壇に挨拶したものだそうだ。

小学6年生の頃だったか、
家の本棚で『古事記』を見つけ夢中で読んだ。
人間がつくりだした神話とはいえ、
仏様のほかにものすごい数の神様がいること知り、
この世界は何かとてつもない存在によって
構成されていると思うようになった。

やがて大人になり、アニミズムという言葉を知る。
万物に霊魂や精霊が宿るという考え方だ。
以前「山形はまるごとパワースポット」というタイトルで
山形は八百万神を信仰できる土地と書いたが、
万物の依代は樹木や石にとどまらず、
あらゆる物事、現象も含む。
大きく捉えれば、机も車も食器も衣服も御神体なのだ。


先日、山形県立博物館の企画展
『縄文のキセキ』へ行って来た。
土偶が作られた理由は、
祈りやまつりごとの道具という説が主流だが、
詳しいことは分かっていないらしい。
エジプトのピラミッドやナスカの地上絵しかり、
この星は、未だ科学や医学で
解決できない状態や事柄がいっぱいだ。
原因不明の病気も少なくないし、
医者にNGと判断されても完治する人だっている。


人類が誕生以来、
人は生まれては死に土へ帰るを繰り返し、
さらに太古の昔から、
あらゆる生物や物質が
地球上で有になり無になってきた。
それらの遺伝子のわずかなひと粒が、
私の身体のどこかに
組み込まれていても不思議ではないし、
何十代も前のご先祖の想いが
周りのあちこちに浸透している可能性だってあるだろう。

長い歴史の中で、
すべてを内包し受け継がれてきた命の波動は、
とんでもなくパワフルで寛大で慈愛に満ちているはずだ。
誰もがぽんと存在しているのではなく、
みんながどこかでつながっている。
全体であり部分であると考えられたら、
支配も所有も搾取もいらない。
人や物を粗末に扱うことも、
戦争すらもなくなるのではないだろうか。

今年もまもなく終了だ。
これから私自身が心がけたいのは、
私という一個人の身体と精神を大切にすること。
それと同時に、地球人として、
一つの生命体としてどう在りたいかを内省すること。
計り知れない自然界や宇宙の摂理に対して、
畏敬の念と謙虚さを忘れないこと。


時々こんな物語を思いだす。
「おじいさんが庭に来た鳥に餌を与えたら、
やがてたくさんの鳥が集まるようになりました。
餌をもらえる鳥はよろこびましたが、
ある日おじいさんが亡くなったら、
鳥たちはすべて死んでしまいました」。

一方、アメリカの先住民たちは、
「どのようなことも、七代先の子どもたちを考えて決めよ」
という言葉を残している。
自分自身の喜びを精一杯追求しながらも、
一時の成功や富を求めることなく、
大局的に判断できる人間でいたい。


日々の中では、重曹、石けん、布ナプキンを使って
ネガティブな負荷を減らしたり、
地産地消の食生活、
誠意を持って作られた商品を選ぶなど、
出来る範囲のことしかできないけれど、
勇気と素直さと遊び心と感謝の気持ちで
環境活動に取り組んでいけたらと思う。


このコーナーの担当は今回が最終回。
順番が近づいてくるのが楽しみで、
あらためて自分自身の考えを振り返る機会にもなりました。
この一年間に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。